ケセラセラ~グリオーマ闘病記

30代の夫がグリオーマG4と宣告されました。

夏休みの旅行を強行突破

退院直後の診察で何をしてもいいとお墨付きをいただいたので、

ずっと迷っていた夏休みの家族旅行を強行することにした。

正直、これから莫大な治療費がかかることを考えるとのんきに旅行なんか行っていていいものかと迷いに迷った。

というか今でもあの旅行代があれば・・・と今後後悔するときが来るのではないかと思っていたりもする。

 

でも、この膠芽腫という病気は絶対に再発が避けられない病気。

そして増殖スピードが異様に早い。

今後旅行に行きたくても体がいうことをきかない可能性が高いのである。

何でもできるうちにやっておこうと思った。

 

行き先は京都と広島に。退院して4日後から出発した。

4泊5日。およそ病人とは思えないほど、動き回って食べまくってハードな旅だった。

もちろんテモダールも旅行中きちんと服用した。

放射線による脱毛がちょうど旅行中目立つようになった。バサバサと抜け落ちる毛。

放射線による副作用が全然なくて、脱毛したということはちゃんと当たってる証拠だとなぜだか安心した。

 

なんとか5日間かなり疲れたけど無事に行って帰ってこれた。

こうして我が家の激動の夏休みが終わりを迎えた。

 

 

 

退院翌日 初めての外来診察

無事サイバーナイフが終了し、退院した翌日に元いた病院の外来診察があった。

 

この日は私が仕事だったため、父と子どもたちで付き添っていったんだけど

初めての外来だったから勝手が分からず、大変だったよう。

診察券やお金も忘れバッタバタだったそうで、診察もかなり待たされ帰ってきたときにはみんなグッタリだった。

見た目元気だから、問題なく診察も行って帰って来られると思ったけど、やっぱり忘れっぽくなってたり、段取りを上手く組めなかったりするようだった。

(これ以降診察は必ず付き添うようにしている。)

 

診察は前もって主治医に聞くこと箇条書きにして持たせていた。

日常生活でやっていいことダメなこと色々聞いた。

NGだったのは車の運転、一人で辺鄙な場所に出かけること(万が一倒れた時に危ないから)。

それ以外は何をやっても大丈夫。リハビリの成績も満点を出すくらいだから、仕事も夫のやる気次第で主治医的には問題ないんじゃないかと言う見解。

 

これからは再発までの時間をいかに引き延ばすかの治療。

再発してしまったら、その時できることをやっていく。

とりあえず今が一番体の自由がきいて、好きなことをたくさんやった方がいい時なんだろう。できるうちに何でもやっておこうと迷っていた夏休みの旅行に行くことに決めた。

 

 

サイバーナイフ 16日間の入院

8月からサイバーナイフ治療を行うため、Y病院へ転院になった。

手術をしてくれた主治医の師匠に当たるT先生がサイバーナイフの治療にあたってくれることになった。

入院初日

初日はMRIやCTなどの画像検査を一通り行い、T先生の診察というスケジュール。

開頭手術の時にこのT先生も立ち会ってくれたので、マスク越しに私は挨拶を一度しているのだが、夫は術後の意識が朦朧とした状態でしか会っていないため実質初対面。

椅子にどっしり腰を落として、足を組みおおーやはり権威という感じ。

でも説明は丁寧にしてくれた。

術後久しぶりに撮影したMRIは脳のむくみもかなり取れ、腫瘍の圧迫により偏位していた脳も元通りになっていた。まずは一安心。

膠芽腫という病気について主治医と大体同じ話だったが(余命など)、一つ初耳だったのは癌の増殖率を示す値の話。

その数値の名前は忘れてしまったが、それが10%を超えてくると悪性と言えるところを夫のそれは40~50%あるとのこと。

かなりの増殖スピードがあるということだ。膠芽腫・・・なんて恐ろしい病気になってしまったのか。

それでも、10年以上生きている患者さんを先生は知っているそうで(そもそも膠芽腫ではなかったのではないかとも言えるそうなんだけど)、この先再発しても手立てはたくさんあるから頑張っていきましょうと最後は明るい話をしてくれた。

得体の知れない治療に不安になっていた夫も気持ちが軽くなったようだった。

 

サイバーナイフとテモダール服用開始

翌日からテモダールの服用が始まった。早朝に起こされ、まずは吐き気止めの薬を飲み30分後テモダールを服用。このスケジュールを毎日こなしていく。

これに加え日中はサイバーナイフとリハビリをこなし、後は自由時間。体は元気なので時間を持て余したのか、外出届を書いてもらい真夏の炎天下の中最寄り駅まで30分かけて歩いていきスーパーで買い出ししたり、中華料理を食べたりとおよそ病人とは思えないアクティブ全開な毎日。

一度4キロ離れた喫茶店に行くため外出届を出したらさすがにT先生に怒られたほどだった。

心配していた副作用は放射線もテモダールもどちらもほとんどなかった。というか食欲爆発で病院食の他にスーパーで買いこんだお菓子やつまみ(さすがにアルコールには手を出さなかったみたい)をおやつや夜食に食べていたようで、退院するころには顔が真ん丸になっていた(今思えば食欲増進や真ん丸な顔はステロイドの影響もあったのかも)。

 

陣中見舞い

手術をした病院と違い遠方だったため、見舞に来たのは親友のY君と義姉、そして私達だけだった。私と子どもは入院して1週間後、たまった洗濯物を引き取りに一度だけ顔を出した。電車で片道3時間。ちょっとした旅行気分だった。

当日は病院食のカレーをたいらげ、急いで私たちを歩いて迎えに行き、その後すぐに駅前の中華料理屋でラーメンを食べ、スーパーでアイスを買って食べるという驚異的な食欲を見せてくれた。これだけ食欲があるから大丈夫だと安心。

自宅で過ごすより、むしろ病院にいる方が充実して楽しそうにさえ見えた。

 

退院

10日間の照射を終えて8月17日に退院となった。父にまた車を出してもらい家族で迎えに行った。テモダールの服用は続くもののひと段落。ずっと病院に閉じ込められていたので退院の帰りはぶどう狩りをし、寿司を食べ、温泉に入り、とんかつを食べるというレジャーを満喫し家路についた。

そういえば、ひどい湿疹はサイバーナイフの病院に入院する頃には軽快し入院後5日くらいで完全に痒みはおさまった。結局原因は特定されなかったが、夫の分析によると点滴で入れていたステロイドの副作用が一番怪しいとのこと。リンデロンからプレドニンに変えたころから少しずつ症状が治まってきたかららしい。

リンデロンはこの先もまた使うかもしれないし、もしその時同じ症状が出たら当たりということだろう。

 

 

退院の日からつかの間の自宅の生活

2017年7月27日(木)退院

退院の日 

父に車を出してもらい迎えに行く。

ひげをそり私服に着替えるとすっかり病人らしさはなくなり、湿疹以外はとても元気に見える。

お世話になった看護師さんたちに挨拶をして回るとみんな笑顔で送り出してくれた。病棟の看護師さんとの仲の良さに父がびっくりしてた。

どのスタッフさんもフレンドリーで居心地が良かったようだ。この病棟に戻ってくる日が二度とないことを祈りたいけど、きっとまたお世話になるんだろうな。

病院を出て、自宅に帰る前によく行く近所のスーパーに寄り道。

スーパーをウロウロするのが大好きな夫。思う存分買い物を堪能し、やっと自宅へ。

本当は退院祝いでごちそうを用意したいところだったけど、私も疲れがたまっていてそこまで気が回らなかった。

適当に出来合いの夕飯を食べた後、大好きな日清のカップヌードルトムヤムクン味をたいらげた。

 

4日間の自宅での生活

8月1日から入院し、サイバーナイフの治療が始まることになった。それまでの4日間は自宅で自由に過ごすことができた。治療が始まったら、食欲が落ちたり自由に出歩ける体力がなくなるかもしれないという思いもあってか、体を休める間もなく本人は精力的に動き回っていた。

 

初日は私が仕事で不在だったため、子供たち二人を連れて行きつけのそば屋でてんこもりのそばを食べ、脱毛にそなえて床屋で坊主にしてもらい、スイーツを食べ、丸一日あちこち動き回っていたようだ。付き合わされた子どもたちはゲッソリして帰ってきた。

本人は元気に歩いていたようだが、さすがに最後の方は少し足取りが重くふらつくような動きが見られたと長女が心配をしていた。

 

二日目は土曜日で花火大会に行こうということになった。

前日動き回ったこともあり、子供たちも疲れてるし午後ゆっくり出ていけばいいのでは?と言ったら、

時間がもったいない朝から出かけようと思ってたのに!

とイライラしだした。病気発覚前からイライラすることが目立つようになっていたが、手術で腫瘍を取り除いてもそのあたりは変わらないらしい。自分がこうした方がいいと強く思ってることにたいして、周りがその通りにならないとスイッチが入ってしまうようだ。

一度イライラスイッチが入ってしまうと、そのほかの色々なイライラの元を拾ってきては文句を言い、ヒートアップしてしまう。

その後入院前に使っていた目薬が見当たらないと言い出しイライラピーク。ひとしきりイライラをまき散らし収束していく。こういう時は夫がいない方が平和だなと思ってしまう(本人には口が裂けても言えないが)。

退院後初めてのイライラをやり過ごし、花火大会に出かけそれは楽しく過ごすことができた。本当に病人なの?と思うくらい元気で私と子どもはついていくのが精一杯。ものすごく疲れたが夫が喜んでいたので報われた。

「来年の花火も見れますように!お願いします!」と天に向かって冗談っぽく手を合わせていた。

 

3日目はさすがに外出は勘弁してってことで家にこもってもらう。

 

そして入院前日。私が仕事の間、また子供たちを連れて今度は医療保険の請求のために必要な診断書を書いてもらうため病院へ出かける。帰りはマックで入院中ずっと食べたがっていたポテトを食べたようだ。この4日間本当によく食べてたな~。

夕方に父がやってくる。またまた車をだしてもらうためだ。我が家には車がない。年始めに車上あらしに合い古い車だったので処分してしまったのだ。思えばあの事件から悪いことが起きているような。

電車で行くことも考えたが、入院の荷物を持って県外の病院へ行くのは負担が大きいということでまた甘えてしまった。

 

最後の夜、入院荷物を詰めている顔が何とも言えない表情を見たら、涙が出てしまった。本人には気づかれないようにいつも通り振舞っていたが、夫の不安を思うと暗い気持ちになってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

脳腫瘍開頭手術後 8日目~14日目の様子

2017年7月12日に脳腫瘍の摘出手術を行いました。前半の様子はこちら

 

obebediary.hatenablog.com

 

術後8日目

7月20日(木)

夫の回復ぶりから退院の日が近づいていると感じたため、急ピッチで夫の部屋の片づけ。父も尿管結石から回復し両親がそろって手伝いに来てくれる。両親には今回の病気のことで片道3時間のみちのりを何度も通ってくれて本当に感謝。両親がいることで精神的に安定していられる。

夕方から両親とお見舞い。両親は術後初めて夫の顔を見る。術後の顔が腫れた写真を送っていたため、術前とほとんど変わらない様子に安心した様子。言葉もよりスムーズに。17時頃夫の学生時代の親友がお見舞いに来てくれたため入れ替わりで帰宅。

親友のYくんは面会時間いっぱいまでいてくれたみたい。夜ふるさと納税でアイスクリーム頼んだよとラインが来る。これから多額の治療費がかかるのにふるさと納税してる場合じゃないだろうと脱力したけど、本人が病気のことで悶々としているよりはいいかと納得させる。

 

術後9日目

7月21日(金)

私が仕事中両親が引き続き片づけ。私達は築40年の夫の実家に住んでいる。今まで住んでいた人たちの物がそのまま残されており、夫の家族は全員捨てられない人たちなのか無駄に家がデカいこともあって大量の荷物で埋もれている。それを少しずつ運び出して捨てる作業。夫が帰ってくると捨てにくくなるのでこれを機会に強行突破。この日に何とか片付けの目途が立ち、とりあえず夫が寝る一部屋のスペースは開けられた。

夕方のエアコン工事の立ち合いも両親に頼み、仕事後病院へ。

このころから入院疲れなのか、体も元気になってきて時間を持て余し家に帰りたい外に出て体を動かしたいとぼやき始める。言葉は元通りになったが、リハビリで頭を使うと片言になり左腕がボーっとする症状がまだ出る。

 

術後10日目

7月22日(土)

お昼にカレーが出て喜びのライン。食べることと、理学・作業療法士さんや看護師さんたちとおしゃべりすることが入院生活の楽しみになってる様子。

私は親しくない人と会話するのは疲れるタイプなので、夫のこういう所は素直にうらやましいと思う。

リハビリは順調で段々と点数も上がってるみたい。40分くらい頭を使うと左腕と左唇に軽い麻痺のような症状が出る。

術後顔にポツポツと出ていた原因不明の湿疹が体に広がり始める。

午後、私の妹夫婦が家族みんなでお見舞いに来てくれた。術後10日経ち、病理診断の結果が気になりだす。術中の簡易診断でグリオーマのグレード4でほぼ間違いないようだが、確定するまで落ち着かない。夫が病名を告げられて(この時は本人にはまだ悪性の脳腫瘍としか伝えていない)平静でいられるかという心配もある。

 

術後11日目

7月23日(日)

義姉が私物の片づけのため自宅へ。その後一緒に病院へ。湿疹さらにひどくなり、痒みも出てくる。塗り薬が出る。湿疹とともに便秘もひどくなる。薬の副作用?

食欲ますます旺盛。ジャンクフードが食べたいというのでファミマでファミチキ買って差し入れ。

 

術後12日目

7月24日(月)

仕事帰り見舞い。留置されていた点滴針が抜けてスッキリ喜ぶ。ずっと投与されていたステロイドは点滴から内服になりマイルドな薬に変更となる。左腕の軽いしびれの感覚もなくなり日常生活を送るのに問題ないレベルに回復。湿疹だけはさらに悪化傾向。プツプツとしていた皮疹が盛り上がって境界が分からないほど広がっている。主治医から原因不明と言われるが薬疹を疑う。

 

術後13日目

7月25日(火)

湿疹ピーク。お通じもなくお腹が張って苦しいと。この日は前々から予約してあった子どもたちの夏休みイベントがあったため見舞いにはいかず。加えて長女が少し不安定な様子が見られたため担任にフォローをお願いするため午前中は学校で面談。夫の病気のことも伝え様子を見てもらうよう頼む。親友Y君と義姉がかわりに見舞い。病理結果が出たので主治医との面談が翌日に決まる。

イベント帰りにデパ地下に寄るとちょうど土用の丑の日でうなぎに行列ができていた。高級うなぎなので家族分は買えないが、夫のために奮発して一尾購入。

 

術後14日目

7月26日(水)

両親が来る。小6の長女が一人でうなぎとスイカを差し入れに行くと言うので、一人で病院まで行かせてみた。駅からは送迎バスが出ているので問題なくたどり着いたようだ。

スイカを食べたら急に便意がこみあげてきて、どっさりお通じがあったようで喜びの報告があった。スイカが効果があったのか不明だが、差し入れした甲斐があった。うなぎもさすが普段食べているスーパーの鰻と違って美味しかったようで、テンションの高いラインが来た。良かった良かった。

長女は午後の主治医との面談にも同席したがったが、シビアな結果を聞かせる勇気がなく自宅で両親と一緒に待つように言い聞かせる。(ちなみに長女は初回面談時に同席していたため悪性の脳腫瘍であるのはこの時点で知っています)

午後長女と入れ替わりで病院へ。義姉も会社を早退して来てくれる。ちょうど病室に着いたら、夫の職場同僚と会長が見舞いに。急遽デイルームで面会。

主治医はナースステーションで他の患者と話をしているようだったので、面談の時間だったがしばらく待機。

主治医の手が空いたようで声がかかる。せっかくのお見舞いで申し訳なかったが、声をかけてお開きにしてもらう。

 

膠芽腫告知

ソーシャルワーカーさん(この時初対面ではなく廊下で一度挨拶をして少し立ち話をしている)、看護師さん同席。とうとう病名が確定するときが来て緊張する。

主治医はいつも通り穏やかな表情で座っていた。モニターには病理画像と所見が映し出されていた。パッと目に飛び込んできたのは「malignancy」=悪性。

そして

「glioblastoma」グリオブラストーマ

ああやっぱり間違いないんだ。

主治医は私達に画像を見せながらグリオーマのグレード4、最悪性の膠芽腫であることを伝えた。平均余命は14ヵ月。5年生存率は10%以下。必ず再発してくるというシビアな現実を伝えつつ、それでも平均余命はあくまでデータの数値であり、同じ病気で8年生きていて現在も外来通院してる人もいると希望を含んだ言い方をしてくれた。

心配していた夫の様子は「そうですか」とその説明を顔色を変えずに聞いていた。というより時おり冗談も飛び出し、たびたび笑いがおこるという、告知をされているとは思えない状況に拍子抜け。

ネガティブ思考でメンタル激弱だとずっと思っていた夫が何の動揺の色を見せずに診断を受け止めている。10年以上一緒にいるがやっぱりこの人分からない。

(癌告知された人は何段階かに分けて病気を受容していくというプロセスをたどるらしいのだが、告知され3か月経った今もそのプロセスとやらは夫に全く見えない。もしかして1段階目にもまだ経ってない?)

そして話は今後の治療方法のこと。以下主治医からの話。

〇膠芽腫の標準治療は術後放射線治療60Gyかけながらテモダールを42日間服用するとのこと。その後は休薬期間を設けテモダールの量を増やし維持療法を繰り返していく。

〇テモダールは2年で打ち切り。アバスチンという薬も併用して使用するつもり。

〇放射線治療は一般的な外部照射でもいいがサイバーナイフという選択肢もある。

サイバーナイフのデメリットはメジャーな治療になってから日が浅いため、予後のデータが出そろっていないこと。だが、経験上一般の放射線治療と治療効果は変わらない印象。

サイバーナイフだと10日間の照射となり入院期間も短く、体の負担が少ない。また再発したときに再度かけることができるメリットがある。

 

こう言われたらそりゃサイバーナイフの方が魅力的です。サイバーナイフを選択することに。サイバーナイフのある病院で紹介できるのが2病院あり、交通の便が良く私が通いやすい方でお願いしたが、問い合わせると20日以上あとでないと空きがないとのこと。とてもじゃないけどそんなに待てないので

結局、県外にある遠い病院に転院することに決定。

この後免疫療法など色々と質問して面談は終了。もう入院しててもリハビリくらいしかやることがなく「明日退院してもいいですか?本人も暇を持て余してるようなので」と聞くと

「いいんじゃない?」と軽い返事。ということで翌日退院となった。

最後に夫が

「助けてくださってありがとうございました。」

深々と頭を下げた。

 

この後、義妹(夫の妹)の旦那さんが見舞いに来て普段と変わらぬ様子で談笑。

夕食もモリモリ美味しそうに食べ完食。

「考えてもどうしようもないし、しばらく骨休めだと思ってゆっくりするよ」

私たちを不安にさせまいと気丈にふるまっていたのかもしれないが、予想外の受け入れっぷりにただただ驚くばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

脳腫瘍開頭手術後 1日目~7日目の様子

2017年7月12日に脳腫瘍の摘出手術が行われました。術後入院中の様子です。

と言っても3か月経っていて記憶があいまい。家族とのラインのやり取りをもとに思い出して記録しておきます。

 

術後1日目

7月13日(木)

夕方から子どもたちと病院へ。術後すぐの様子を見せるのはインパクトが大きすぎて子供たちに見せるのはどうかなと思ったけど、長女も会いたがっていたし術後すぐの様子で会話は少しできそうだったため、連れていく。義姉も一緒。

術後すぐは混乱している様子だったが、1日経って自分の状況を把握した様子。心配していた右側の麻痺や言語障害などの後遺症もこの時点では見られず一安心。しゃべり方もほぼ術前と変わらず会話に支障なし。

管だらけの夫の様子に次女は少しびっくりしたよう。

「あの時(頭痛がして病院にかかるか様子を見るか迷っていた時)に行っていて良かった。病院に行かないで家にいたら死んでたよね」

と何度も良かったと繰り返していた。面会中リハビリの人が来る。初リハビリだ。術後すぐにリハビリが始まることに驚き。手足の動きを確認したり一通り体をチェックして初日は終了。食事を食べる練習も始まるとのこと。

 

術後2日目

7月14日(金)

父が尿管結石でダウン。予定していた見舞い来られず。長女も発熱で学校お休み。みんなここ1週間のバタバタで疲れている。私もパートがあったため義姉に見舞いをお任せして、この日は休ませてもらう。車いす移動でリハビリへ。甘いものの差し入れOKと言われる。食事開始。

 

術後3日目

7月15日(土)

眼科検診で斜視を指摘された次女を眼科に連れていく。その足で病院へ。長女の熱は下がったが家で留守番。頭にあったドレーンが抜けている。見た目順調に回復しているように見えたが、話すと呂律が回っていない。言っていることは文脈からこちらが理解できるが、頭で考えている単語が上手く出てこない様子。術後すぐの支離滅裂な話をすることはない。

ちょうど主治医が来たので聞いてみると、主治医も気になったようでCTを撮影したが心配していた梗塞などの所見は見当たらないとのこと。様子を見るしかないようだ。食事は普通食になる。

 

術後4日目

7月16日(日)

我が家の寝室はこれまで、家族4人ベッドを並べて川の字で寝ていたが、子供たちも体が大きくなり寝相もひどくノビノビ眠れないとぼやき、私と寝室の温度をめぐって揉めることもあったので、これを機会に夫だけ一人で自由に寝てもらうことにした。そのために古いエアコンを撤去して夫専用の寝室に新たなエアコンを入れることに。

そのため朝から次女を連れて家電量販店をめぐってエアコン探し。手ごろな値段のものが見当たらず。長女はずっと楽しみにしていた友達とプールへ。

夕方から子どもたちを連れて病院へ。デイルームまで車いす移動し座ったまま面会。尿道カテ抜けている(多分・・・記憶があいまい)。相変わらず呂律回らず。ラインのやり取りも文章がおかしい。長女の夏休みの宿題を持参し一緒に解いてみると計算はよどみなくスラスラできる。計算が必須な仕事をしているためホッとする。

ちょうど夕食時間だったため、食事を取る様子を初めてみる。箸使いや咀嚼・嚥下など術前と変わらず。あっというまに完食。差し入れたチーズケーキも食べ食欲旺盛。

私達が帰った後、職場の同僚が数人見舞いに来る。

 

術後5日目

7月17日(月)

入院して1週間。ラインのやり取りがまともになる。起床後少し頭痛あり。引き続き子供を連れてエアコン探し。安いエアコンが見つかり購入。午後から義姉と見舞い。少し言葉が出てくる。

ほとんどの管が取れ、点滴のみ。付き添い付きでしっかりした足取りで歩いてトイレに行けるようになる。

 

術後6日目

7月18日(火)

パート後、病院からTEL。ドキドキして電話に出るとナースステーション前の一般病室に移るという連絡。やっとHCUを卒業。

ここまで私か義姉がどちらか必ず見舞いに行っていたが、この日は二人とも疲れているので休みましょうということで誰も見舞いに行かず。帰宅後ゆっくりする。

 

術後7日目

7月19日(水)

術後1週間。昨晩緊急入院が相次いでいたため、病棟が騒がしく、同室の人のいびきも気になり全然眠れなかったらしい。HCUの方が居心地が良かったみたい。耳栓を購入して持っていく。10日ぶりにお風呂。傷跡のホッチキスを外す。だいぶ口が回るようになり会話がスムーズになる。ナースステーションから一番遠い有料の4人部屋に移動するようお願いされる。1日3000円・・・。退院の目途がついてない状態で出費が痛いが承諾する。

静かになり、テレビ冷蔵庫が使い放題で結果的に良かったかも。耳栓結局最後まで使わなかった。スーパーでヤクルトやヨーグルトお菓子などをたくさん買って差し入れ。冷蔵庫パンパン。

 

ここまでが入院前半の様子。

日に日に回復の様子が見られ、深刻な病気ながらも私としては病気発覚時より平常心で過ごせるようになり、悲観的な気持ちになることは全くありませんでした。とにかく命をつないでもらったという感謝と安ど感でいっぱいでした。毎日色々な雑用に追われていたことも良かったのかもしれませんね。

 

 

脳腫瘍摘出手術

2017年7月12日

 

手術開始

義姉と一緒に9時過ぎに病院へ。ちょうど着いたときにストレッチャーに乗せられて運ばれる夫と遭遇。朝一番でCTを撮影して戻ってきたところだった。

命の危険にさらされてるとは思えない穏やかな寝顔。大きな声で呼びかけてみるものの全く反応を示さない。そのまま予定時間より早いけど手術室に向かう。

長い一日の始まり。

手術室に入る夫を見送る。後は先生にお任せするしかない。思わず感情が昂って涙が出てしまった。

 

病棟のデイルームでテレビを見たり、今までの入院の記録をノートにまとめたりして時間が過ぎるのを待つ。

お昼頃両親が来てくれ、お昼を差し入れてくれた。両親は1時間くらい滞在し、子供たちの出迎えのため自宅へ。

本当に今回の件では両親にお世話になりっぱなし。実家は車で3時間くらいの距離。夫の入院中何往復もさせてしまった。もし親がいなかったら、どうなってたんだろう。

 

手術終了時間が近くなると、ソワソワしてきた。無事腫瘍は取りきれたか。病理診断の結果はどうだったのか。意識が戻って目が覚めるのか。

 

16時半。看護師さんがもうすぐ終わると知らせにきてくれた。手術室の前で出てくるのを待つ。主治医が出てきて手術が無事終わったことを告げられる。麻酔などのショックもなくトラブルはなかったことに一安心。もう目を開けて会話をしてると聞いてびっくり!!

あんなに意識がなかった人が腫瘍を取り除いただけで、普通に意識が戻るなんて!思わずまた泣いてしまった。

ただ予想通り、術中の病理診断ではグリオーマであり、壊死があったためグレード4(最も悪性)だろうとのこと。それを聞いてもショックはなく、そうなんだと思っただけ。振り返ってみると、入院してからこの手術までの3日間が一番精神的動揺が大きかったかも。

本人はまだ処置中とのことで病棟に戻る。しばらく待った後、HCUで術後の本人と面会となった。

 

手術直後の様子

HCUで面会。左側は視野が狭くなってる可能性があるので右側から声をかけるように言われる。

「パパー手術終わったよー」と声をかけると「えっ!!誰が!」と目を見開いて驚いている。「パパが手術したの!」というと、「えっ!!もう終わったの!」と大きな声で叫ぶように返事。まだ混乱している様子。

「しらすが食べたいんだよー」「しらすがー」

しらすしらすと連呼し、支離滅裂なことを言ってみたり。

「仕事ちゃんと回ってるかなー。〇〇さんとか△△さん(職場の人)は大丈夫かなー。たくさん勉強したのに忘れちゃうのかなー」と仕事の心配してみたり。

私や子供たちに対するコメントはなし(;^ω^)

元々よくしゃべる人なので、言葉が切れ目なくあふれ出してる。意識がない状態しか見てない看護師さんたちは「〇〇さん(夫の事)ってこんなにしゃべるんだー」とビックリされた。心配していた、麻痺や失語などこの段階では大丈夫そうなのが分かり、緊張でこわばっていた自分の体から一気に力が抜けていくのが分かった。

 

膠芽腫という最悪な結果だったものの、とにかく命がつながったという安ど感でこの日はいっぱいだった。この日の夕飯は美味しく食べられたし、久しぶりにしっかり眠ることができた。